2013年12月30日月曜日

多羅尾 整治さん発題 古事記おじさんの日本のはじまり探し


昨夜の『世界不思議発見』は、古事記・日本書紀・風土記などに書かれている内容を『史実』とし、日本の始まりを奈良地方としていました。『史実』とする根拠は、奈良県桜井市の纒向遺跡で発見された遺構が出雲大社と伊勢神宮の建築様式の両方を備えていたことのようです。出雲大社の様式は住居であり、伊勢神宮の様式は倉庫であるとし、纒向はその両方が同一敷地内に建てられていたというものです。
この発想ですと『高天原=桜井市一帯』ということになりますから、住んでいたのは高天原族ということです。そこにタカミムスヒやアマテラスが生活しており、「出雲地方が素晴らしい場所だから、アマテラスの息子の支配地にしよう」と考えたことになります。出雲地方を支配下にしたのち、アマテラスの孫のニニギが九州の高千穂に降臨し、その子孫の神武が広島・岡山を経て奈良に到達します。でもそこはナガスネヒコの支配地で、神武軍は敗退します。この古事記の記述からすると、桜井地方がアマテラスの根拠地であったとすることには無理がありそうですが、皆さんはどう考えますか?

2013年12月12日木曜日

出雲の覚醒 


いつの頃だったろうか、年始の初詣にオヤジがかならず出雲大社にお参りする、ということがわかってから、自分の父親ながら律儀な男であると同時に、おそらく戦前の教育で習い聞いたであろう皇国史観というものにいまだにしがみついている頭の切り替えのできない男、となかば見下げるような目で見たことがある。

自分の父親ながら失礼千万致したと思いつつも、あの出雲狂いが単なる山陰地方という地域的な特殊性のみからでるものでなく、全国津々浦々の神社ファンがいまなお相当数に上るということに思いを致してみると、日本神国や「日本は神の国である」発言が政治家の不適当発言で済まされるのがなんとなくもったいなく思えてくる。

筆者は、格別信仰にうるさくはないが、それでも世界の三大宗教のなんたるかぐらいは、自分で調べて自分の頭で理解してから、最終的に自分にあった信仰を身に付け、所詮は棺桶の装飾の違いぐらいでしかなくとも、どの棺桶に足を突っ込むべきか自分で決めれば良いと思っている。

 その信仰のなかで、いまだに日本人の相当数を惹きつける神道。そして、その神道のいにしえの源流をなす出雲古神道とかつて存在した出雲王朝。筆者がこれに惹きつけられるようになったのは、つい最近ひょんなことから、現代天皇制と南北朝正閏論の狭間に存在した古出雲神道の流れを示唆されてからである。

それは、古出雲神道というより、古出雲の民俗誌といってもよい。おもえば、少年期・青年期の一部を過ごした山陰の片田舎、近隣の社閣に出かけようとおもえばいくらでも見て回れた、あの山陰の風景、あの景色、あの地方に日本の古代史と、そしておそらくは、日本の現代史をも揺るがすであろう秘められた歴史の力が込められていたことを、今更ながら、この歳で聞き学びすることになろうとは思ってもみなかった。

山陰の片田舎で過ごした学校の夏休み、ある夏の夜、夢の中に現れた夜空からの啓示、あれはなんだったのだろう?出雲を中心とした山陰地方には、いまだに神々の降臨が起きているのだろうか?

この記事投稿は、別途編集されれる古代史探訪の、筆者の備忘録として記しておく。

歴史が面白くなる 東大のディープな日本史2

歴史が面白くなる 東大のディープな日本史